97 かたき討の話 敵討ちの話 かたき討ちの話
蔵敷の塚前墓地の入口に一基の妙典供養塔があります。この石塔は六十年ぐらい昔は山王様に近い駐車場の附近にあって、近くの子供たちが遊ぶ時いつも見たものでした。そこは俗に「神主ばたけ」といわれ、芋窪の飛地で豊鹿島神社が管理をしていました。石塔が墓地に移されたのはこの土地を利用して耕作するためでしたが、災いがあるというので「因縁ばたけ」と言われ、いつしか耕作されることもなくなりました。
石塔は天保九年(一八三八年)九月十七日、肥後国(熊本県)の丈助という人が助太刀の人と共に、討った人の供養のために建てたということが、その銘から判ります。
蔵敷の小嶋清一郎さんの話によると、安政五年生れのお祖母さんが
「あの辺でかたき討があったと親から聞いた」
と言っていたそうですが、どんな理由で、どんな風にかたき討をしたのか、討たれたのは誰か、はっきりした状況は全然伝わって居りません。
小嶋さんは、最近武蔵野美術大学の調査で石塔のことが判ったので、お盆や彼岸の墓参の時には必ずお線香を供えているということです。
(『東大和のよもやまばなし』p209~210)